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| ただのイタリアンレストランじゃぁないんだよ☆ 「料理工房・てだこ(^o^)亭」は、いろんなことの、おもちゃ箱。 飯塚 未登利 |
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東京のど真ん中・文京区は小石川から那覇市のど真ん中・松尾に移住し、この春で3 年になる。松尾と言えば牧志と隣接した市場地域で、昼間は買い物客や観光客、夜は 酔っぱらいやホームレスがうろつく24時間がさがさと落ち着かないエリアだ。もと もとは田んぼや畑があったらしいのだが、もはやその面影はない。第二次世界大戦で 焼け野原となったこのあたりに、闇市が立ちいつの間にか市場となったそうだが、全 くその通り、ごちゃごちゃした路地に小さな店が密集していて、那覇市が再開発をし よう!と何度も声高に言うも、お役人もどこから手を着けていいのやら、と何度も計 画が頓挫している(?)アジアの入り口だ。 私は世界各国の路地裏や市場をうろつき、写 真を撮っては、現地の美味しい物を食べ る、というのが趣味の料理研究家を故郷の東京でしていた。各地から不思議な調味料 や香辛料、調理器具などを持ち帰り、現地の料理を再現して教えたりしていたが、9 7年、バリ島を訪れた時に「自然と共生して人間らしく生きること」を普通にしてい るバリ人達を間近に見て、沖縄移住を決意した。 なぜ沖縄なのか?20余年前にはじめて沖縄の土を踏み、通ううちいつかはここに住 む、と漠然と心の中で思っていた事を実現しただけなのだ。文章に書くと簡単だけれ ども、紆余曲折、決意してから20年が過ぎていた。バリ島から 帰って2年後の春、東京での仕事に区切りをつけ、沖縄へやってきた。30代半ばの私 が今回の沖縄移住に関して一番心を悩ませたのはやはり仕事だった。 定年退職をきっかけに沖縄へ移住する人は結構多い。実は私の両親もご多分に漏れず、 9年前に定年後移住を果たしている。思いつきで行動する両親は、なんとあっと言う 間に第二の職場と中古マンションを見つけ、退職後2週間で引っ越してしまった。先を越され、呆然と見送る私に「5年くらい暮らしたら又小石川へ戻ってくるからね。」と言い残していった のだが、3年ほど過ぎた頃だろうか、電話がかってきて「老人ホームもこっちで探す ことにしたから。」ときた。やられた!定年退職者は退職金という元手がある。ぼーっと 過ごしていた私はお金もないし、移住してどうするか?という事さえ決まっていなかっ た。行けば何とかなる、ではもう済まされない年齢でもあるし、サラリーマンの夫も いる。 夫とは、結婚前に「もしかしてもしかすると私は沖縄に移住するって言うかも〜。」とほ のめかしておいたので、普段の会話でも、いつ仕事を辞めて沖縄に行くか?という話 題が良く出た。私はフリーで何とかなっても、40過ぎの勤続25年サラリーマン は、今以上の収入が望めるとは思えないどころか、その職や地位を捨て、失業率の高 い沖縄へ行こうとする事に対し、躊躇するのは当然だろう。けれども、出世欲のない 夫はいつでも辞めるよ、と言う。でも辞めてどうするの?そこで会話は堂々巡り。そ こなのだ。辞めるのは簡単だ。辞めてからが大変なのだ。 そこで私は考えた。結婚してから夫を置いてイタリアに何度も料理の勉強に行ってい たのだが、その旅先で美味しい料理を作ってくれるシェフは大抵「女性」だった。 日本の洋食業界はフランスの流れを汲むため、家族経営の店でも男のシェフが多い。 ところが、イタリアでは女性が厨房を取り仕切り、夫がフロアサービスやソムリエであることが 非常に多い。特に田舎の地方料理を出す店は間違いなくそうだ。つまりお袋の味 はお袋が作るのが一番旨いわけだ。子供の頃から食べ物屋さんに憧れていた私は、イ タリアに通ううち「こんな形のレストランが夫と二人で、できたらいいなぁ。しかも大好きな沖縄で。」と思い、帰国後夫にうち明けると「いいんじゃない?」と軽く言う。ほんとにいいの?マジ? 沖縄は、公設市場をはじめ、沖縄の大衆食堂など、店主は女性であることが非常 に多い。だみ声を張り上げハデに呼び込みをする上野・アメ横などとは違って静かに 、にこやかに商売をしているのが沖縄の市場エリア(マチグァー)だ。アジアの市場の中でも特にお気に入りだった那覇のマチグァー。その近くに、私が料理するレストランを開こう!夫にはフロアサー ビスをしてもらおう!と決めた。決めたら早速貸店舗探しだ。 幸い、同じく市場好きな両親の住んでいるマンションと市場の中間あたりに物件があっ た。沖縄では賃貸物件を借りる場合、沖縄人の保証人を必要とする場合が多い。幸い 大家さんのお嬢さんが父の勤める大学の教え子だった関係で父を保証人にして借りる ことができた。この辺はラッキーだったと思う。ただ夫は会社をすぐには辞められず、 半年間は私が単身赴任し、店の改装工事から開店まで、両親に手伝ってもらい一人でやることになった。 東京 で女性が店を開店するなんてコネやバックが無ければそうそうできるものではない。 しかも賃貸物件でも保証金が数百万必要なのも貧乏な私などには厳しいが、沖縄では、 保証人は必要で も保証金は要らなかった。そして営業経験がない女性でも、やる気さえあれば自分の 店が持てるだろう、と20年間の沖縄通いでわかっていた。沖縄は「女のくせに」という言 葉がないのだそうだ。女性が社会進出しようとすると、何かと障害ばかりの東京とは正反対の 土地でもあったのだ。 ただ移住して起業、となると、女性の先駆者は少ない。移住者の仕事といえば、東京の仕事をメールやファクスなどでこなしている人や、 自然を相手にしたダイビングショップなどはよく見かけるが、イタリアンレストランをやっている人はまず いない。しかも場所はマチグァーの片隅で、女性がオーナーシェフ。ネタとしては十分だと思った。正式な料理人修行をしたわけでもない元カメラマンでもある素人上がりの料理研究家がいきなり店をやるには、まずニュース性がないとだめだ。その辺は東京での仕事経験から見当はついた。 しかし、東京と沖縄、食文化だけでなくすべての文化が違う。20年通っていた私でさえ、移住後それになれるまで1年近くかかったのは言うまでもない。ただ、私は沖縄が無条件に好きだったから、それで済んだのかもしれないが・・。転勤族の奥様などをみていると気の毒でしょうがない。望まないで沖縄に暮らさなくてはいけない人ほど、不幸な人もいないだろう。それは沖縄のせいではないのだが。移住を成功させる秘訣は、異文化を受け入れ、尊重し、なおかつ自分も相手に受け入れてもらう努力をすること、かもしれない。私たちはあくまでよそ者なのだ。それを忘れてはいけない。 よそ者、という感覚。これは嫁や婿にならないかぎり、いつまでたっても異邦人である。永遠にウチナンチュー(沖縄人)にはなれない。なれなくて当たり前。私は東京人なんだから。それでいいのだ。それが楽しいのだ。楽しめるなら、移住して正解じゃないかと思う。 私はまだ移住3年目だから、正解かどうかなんてわかるものじゃないが、何となく大丈夫なんじゃないかな、と思う。そして、沖縄ってところは、この「何となくそう思う」というのが、かなりの確率で当たる土地なのだ。うまく説明しにくいのだが、心の声というか、頭に浮かんだことが実現しやすい感じがする。これは旅行者にはわかりにくいかもしれないが、住んでみると何となくわかってもらえる感覚かもしれない。私が故郷の大都会・東京より沖縄を選んだ理由も、もしかしてこのあたりにあるのかもしれない。 さて、若者がほとんど来なくなった、マチグァーでイタリアンレストランを開いて、果 たして人は来るのか?案の定、最初はマチグァーのオバァたちがきてくれた。何にでも好奇心旺盛な沖縄のオバァたちは、おしゃれなインテリアのイタリア料理店であろうと、全然気にせず、ずんずん入ってくる。そしてまず食べてくれる。そして来るたびに無責任なアドバイスをいっぱいくれる。かなり鍛えられた。さすがにこのごろはマスコミでも取り上げられたりして、イタリアンレストランという認識がされたおかげで、ゴム長靴を履き、丈の長いエプロンをつけたままのマチグァーのオバァたちは滅多に来ないが、私の店は接待の黒塗りの車が乗り付ける日もあれば、子や孫たちが集まりオバァの誕生会を開く日もあったり、学生がデートに使ったり、赤ちゃん連れのお母さんたちが、子供をあやしながら、座敷でゆっくりパスタを食べるような、「客層バリアフリー」であることが、一番の誇りだ。 おかげさまで、そんな我が店「料理工房・てだこ(^o^)亭」もこの夏で開業3周年を迎える。3年続けばずっと大丈夫だよ、とよく言われるが、何となく大丈夫な感じはする。ただ一つだけ誤算があった。というのは、フロアサービスを担当してもらおうと思っていた夫。私が沖縄で開店して3ヶ月目に、東京の仕事を辞めてやっと移住してきた夫に、早速店に出てもらった。待ちに待ったフロアデビューだ。しかし、ただでさえ無口な技術系の夫には、レストランのサービスは全く、本当に、見るも無惨に向いていなかったのである。 結局、1日で彼はクビになった。クビにしたのは私だ。「あなたにはこの仕事は向いていない。やっぱり得意なコンピューターの仕事をしなさい。その方があなたのためにも私のためにもいいから。」果 たして翌日から彼は、出張専門でパソコンのサポートの仕事を始めた。もちろんフリーだ。最初は私の店に来るお客様でパソコンに悩んでいる個人の方や、事業所の方が使ってくださり、今ではほとんど家にいないくらい忙しくしている。おかげで私は一人でパタパタと店を切り盛りしているが、さすがに後かたづけだけは人を雇うようになった。夫婦仲良く二人で営業する夢は破れたが、お互い好きな仕事を思いっきりできる幸せを手に入れたのは、かえってよかったかもしれない。 何もかもが初めてで、ただひたすら手探りで突っ走って来た。気がつくと3年もたっている。様々な仕事を経て、様々な国を旅して、ようやくたどり着いたのが、マチグァーに作った私の店だ。今まで、こんなに自然体で楽しめる仕事はなかった。もしかしてこの仕事が私にとても向いているのかもしれない。観光で沖縄に来る人や、このあたりにあまり来ない県内の人にも、マチグァーとともに、私の店を楽しんでくれたら、と思う。世界にたった一つしかない、どこにも似ていない私の店。大衆食堂がひしめくマチグァーにある異色の店、沖縄の一級食材を使ったイタリアンレストラン「料理工房・てだこ(^o^)亭」。営業時間が短いのは、私が料理だけに生きていないから。沖縄に来たら、ぜひ遊びにいらしてくださいね(^・^)。 (掲載文とはちょっと違ってます(^.^;)ゴメンナサイ) |
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