|
昭和から平成に変わった日の深夜、北オーストラリアでダイビングを楽しんだ帰りの乗り換えで、前から興味のあった香港に1泊だけ立ち寄ってみた。日本の雑誌やテレビなどでは、たいていブランドショッピングや高級グルメ、マカオのカジノとか、私にとってはあまり魅力のない特集ばかりが目につき、香港とはお金を使いに行くところ、というイメージだけがあった。でも、そんなところにもきっと庶民の暮らしはあるはずだし、返還前にイギリス植民地としての名残も見ておきたかった。だからいつか、ゆっくりカメラを持って街を歩きたいものだと思っていた。
学生時代に台湾で友達になった生真面目なエンジニアの香港人、ビリーに頼んでとっておいて貰った安宿は、私の想像を遙かに超えていた。九龍半島のあやしい繁華街の奥にある薄暗い雑居ビルの3階。入り口の階段の下の小さな椅子に、目つきの悪い体のでっかいおじさんがランニング姿で座っていて、じっと私達を見ている。前を通
っても表情ひとつ変えない。怯えまくる私にビリーはにっこりと笑い、「あの人はこのビルに雇われている夜間のガードマンなんだ。だからこのホテルは安心だよ。」よく見ると1階のテナントは銀行だ。....もし私が悪者だとしても絶対このビルは狙わないだろうなぁ....と妙に納得。
しかし、というか案の定、通された天井の低い部屋には窓が1つもない。唯一窓らしき雰囲気を漂わせている、壁の小さな四角い切れ込みに取っ手がついている部分を、えいっと外へ押し開けると、すぐ目の前でジジジ...と宿のネオンがうなっている。それはまさにジャッキーチェン映画そのものだった。1月だというのに蒸し暑く、おまけに雨も降り出した。窓の外に広がるネオンの群れをぼーっと見つめながら、こりゃーとんでもないところに来てしまったなぁ、と後悔する反面
、このまま1泊でさよならするには、少しもったいない相手かも知れない...と思った。そしてやっぱり、その夜はほとんど眠れなかった。
そんな目に遭いながらも、2度目の香港往きの飛行機へ飛び乗るのには、そう時間はかからなかった。今度の宿はビリーには頼まず、香港島の街はずれにある小ぎれいなシティホテルを自分で手配した。ジャッキーチェンはもう懲りたのだ。2時間以上も飛行機が遅れたのにもかかわらずホテルのロビーで出迎えてくれたのは、現地の幼稚園で働いている、さつきちゃん。彼女は高校入試会場で私の前の席に座っていた子で、休み時間に意気投合してすぐに友達になってしまった。結局進学先は別
々になり、その後会うこともなかったが、筆まめな彼女に支えられてずっと文通
が続いていた。だからその時は実に12年ぶりの再会だった。2人の時間は一瞬で中学3年生に戻り、荷を解くのももどかしく、つもる話に花が咲き、明け方まで部屋で話し込んだ。
翌日から彼女は、仕事の合間に「彼女の香港」を案内してくれた。それは私の香港旅行のイメージであったブランドショッピングではなく、観光客など1人も見あたらない、地元の人たちで賑わう生鮮食料品の市場や、お粥や麺類を食べさせる家族経営の小さな食堂、迷路のような路地裏、そして朝から出勤前の人たちで埋め尽くされた体育館のように広い大迫力の飲茶レストランなどだった。どこもとにかく活気にあふれ、極彩
色と大音響の雑踏の中で私は、自分がどんどん元気になっていくのがわかった。今までいろんな国を旅してきて、こういう感覚になったのは初めてだった。そしてすっかり香港の虜になってしまった。さあ大変、香港病の発病だ。重たいカメラ機材を背負い、格安チケットを握りしめ、私の香港通
いが始った。
|